『君の瞳が問いかけている』を観て
こんにちは。まさたそです。
たまにはこんなのもいいかなと思って
書き始めた映画の感想ブログです。
ネタバレを含むので
そういうのが苦手な方や
興味はあるけどまだ観てない方は
そっと閉じてくださいな。
ではでは。
まず、役者さんの演技が素晴らしいのは大前提として、劇中の台詞やストーリー(いわゆる脚本)に考えさせられる部分が多かったです。
ふたつの事件が、ふたりの繋がりが
紐解かれる瞬間が一番苦しくて切なかった…
ここでストーリーを事細かく説明するほどの語彙力や文章力はないので、心に刺さったポイントをかいつまんであげていきます。
(時系列に沿ってではないかもです)
ポイント①
出所してきた人の働き口と心情は?
るいくん(横浜流星)は日雇いのビール配達員や駐車場の管理人として働いています。
仕事内容は想像にたやすいけれど、生気は感じられず、どこか暗い。ずーっと暗い。
心を閉ざしている感じ。
それでもその日その日を生きている。
いったいどういう心情なんだろう…
そんな疑問を持ちながら、るいくんは24歳だからもっとほかに働き口があったんじゃ?とも思いました。
少年院を出てきた若者や出所してきた人たちに対して、現状どんな支援がなされているのか、実際を知ってみたいなと思いました。
ポイント②
目は見えなくてもドラマを見る
あかりさん(吉高由里子)は目が見えていないけど、毎週ドラマを楽しみにしていました。
駐車場の管理人室で一緒に見ていたるいくんに
「ヒロインはどんな服を着てる?」
そう尋ねるシーンがありました。
この時わたしは、なるほどな。と思いました。
目は見えていなくてもこうやって楽しむんだなって。
(あかりさんは先天性の視覚障がいではないため、色などの想像はできます)
目が見えないから見ないんじゃなくて
見えなくても見ようと努力をする
そんな前向きさを感じました。
ポイント③
闇はどこにでも潜んでいる
るいくんの幼少期の回顧シーンです。
両親のいないるいくんが幼少期に過ごした修道院でのこと。
喧嘩をして相手を怪我させてしまったけど、隣に寄り添ってくれた自分より強い子に「お前は悪くないから謝らなくていい」(ニュアンスです)と言われたシーンがありました。
本来なら大人がそんなことないよって注意するべき時だけど、そういう声かけをしてくれる大人が近くにいなかったるいくんにとっては、寄り添ってくれた子の言葉を信じる以外なかったのです。
修道院は救いの場所であるはずなのに、ここからすでに闇の世界への出会いと繋がっていたんだなと胸が苦しくなりました。
ポイント④
見えてないけど心はある
あかりさんの会社の上司は職場で呼び出しプレゼントを渡します。あかりさんは断るに断りきれず持ち帰るけど、開けずに置いてました。ある日家に帰ると部長は玄関前で待っていました。(いやもうストーカー本気で怖かったです)
無理矢理家に押し入り、開けてないプレゼントを見て逆上。あかりさんをソファに押し倒し、思い通りにいかない気持ちをぶつけてきます。あかりさんは防犯ブザーを鳴らすけど、すぐに取り上げられ、言うことを聞かないと怒鳴られ殴られます…
どうやって気づいたのかはわからないけど、最終的にるいくんがあかりさん家に来て上司をボコボコにし、上司は帰っていきました。
ハンディキャップのある方に対しての虐待や暴行がなされる瞬間を目にして苦しくなりました。「嫌なものは嫌」なのにどうしてそれを言うことすら許されないのだろう。そう思うと悲しくなりました。
ポイント⑤
シスターからの言葉
るいくんがあかりさんと過ごす中で抱いた葛藤は計り知れません。
一度闇に染まってしまって、抜けようとしたけど、そうしたら次はターゲットがあかりさんに向いてしまった。
巻き込みたくない。でも離れたくない。
簡単にまとめるとこんな感じです。
(ざっくりしすぎ)(世界観ぶち壊し)
そんな葛藤や自分が過去に起こしてしまった事件に対する後悔、反省をお世話になったシスターに話します。
罪を償ったこと、反省してることなどを踏まえてるいくんに向けられた言葉
「許していないのは自分だけ」
この中には、現代の若者世代における問題点が隠されているような感じがしました。
「許してないのは自分だけ」というのは
言い換えれば自己肯定感の低さです。
周りがどれだけ褒めたり慰めたりしても
「どうせ自分なんか」
そんな思考になっちゃう、現代の日本の若者に向けた心からのメッセージだと私は解釈しました。
自分で自分を許す瞬間があっていいんだよって優しい愛のこもったメッセージです。
もうひとつ
「過去は変えられないけど、未来は自分で作ることができる」(ニュアンスです)
これは、これからの将来を明るいものにできる年代だからこそかけられた言葉です。
事件を起こしてしまった過去は変えられない。
だけど、未来は、明日は、自分の生き方次第でどうにでもなる。
生気が感じられず暗かったるいくんだけど、あかりさんと過ごす中で、明るい未来を想像できるようになった。生きる希望ができて、もう闇に染まらないといったるいくんに期待を込めてかけられたのです。
「未来は自分で作ることができる」
って良くも悪くも自己責任だとも捉えられますが、生きていく中で自分で選択する瞬間は必ずあって、それが側から見て失敗だろうと成功だろうと、全部が自分の道になるんです。
失敗したと思ったことは反省して繰り返さなければいいだけの話。
成功したことは大事に胸しまって、自信にかえる。
失敗を失敗と思わず、繰り返し積み重ねていくと闇にのまれるけど、その道で生きると自分で決めたならそれでいいのではないかとも思いました。
(こうやって認めることは、自分の職業と矛盾しているというのは感じています。だけど自分の生き方は自分で選ぶことができる。その権利を邪魔したくないのです。闇社会は基本的に悪とされるけど、そうならざるを得ない(闇に染まってしまった)背景を汲み取ることのほうが重要なんじゃないでしょうか。)
福祉は日常にあふれすぎていて気づかれにくいというのが私の持論なのですが、この映画ではその「日常」にあふれている福祉がささやかに描かれていると感じました。
自分が生きていることの意味を
自分が過ごしている日常を
一度俯瞰で見てほしい
脚本にはそんなメッセージが込められているんじゃないかなと勝手に思っています。
一回観たけど、また観たい。
そんな良質な作品でした。